あ、どもども。
かつて「ブログでなにを書いたらいいかわからん」とぼやいていたことがあるぼくです。
でも、冷静になって考えてみれば、みんな、知りたがっているんじゃないだろうか?
「他人の人生」というものを。
みんなっていうか、ぼくがすごく興味あります、他人の人生ってやつに。
自分とおなじ人生をあゆむ人はいない
ぼくの好きなアニメ「北斗の拳」にでてくるラオウという人が『兄弟なら違う道を進め』ということを言っていました。
作中でラオウは悪役ではありますが、実はすごく愛のある人。ぼくなりの解釈になりますが、同じ拳法を学ぶ兄弟たちがいるのですが、いずれは闘い、殺し合わなくてはいけない運命を、悔やんでいる愛のある人なのです。
ぼくはこのラオウの言葉がつよく印象に残っているのですが、ブログ運営において、
- なにを書けばいいのだろう?
と思ったとき、違う人生を歩んでいる人のことを思い浮かべます。そして、自分自身も他人からすれば、違う人生なわけです。
あぁ…いいなぁ…あんな人になってみたい。あんな生活をしてみたい。あの人は、一体どんな人なんだろう。
そんなことをおもっては、他人を羨ましがったり、妬んだり、憧れたりするわけです。
あなたもそんなこと、ありません?
でも、他人からすれば「あなたの人生」を知りたがっているかもしれません。
「あなたが持っている知識や経験」を知りたがっているかもしれませんし、さらに言えば「あなたという人のすべてを知りたがっている」可能性もあるかもしれません。
そう思うとなんだかワクワクしませんか?
パンツ一枚もブログのネタになる
唯一無二である自分の人生すべてがネタになるとすれば、例えば、「いま、自分がはいているきったないパンツ一枚でもネタになるってことなんじゃないか?」ということです。そのきったなくてくっさいパンツについて知りたがっている人が、世界のどこかで見てくれて、楽しんでくれているかもしれない。そして、次の記事を楽しみにしてくれているかもしれない。
いまはまだ楽しんでくれている人がいなくても、書き続ける中で、そういう人があらわれるかもしれない。
いや、きったないとか、くっさいとか、パンツとか・・・言葉をえらぼうぜ、おれ。食事中の方いたら申し訳ない。
知りたがっている人はきっといる
要するに、まったく同じ人生を歩む人なんていないんだし、どんな人からだって学べるわけです。もしかしたら「人って知りたい欲求がなくなったら生きる目的のほとんどがなくなるんじゃないのか?」と思うわけです。
「人間は考える葦である」
意味があっているかはわかりませんが、そんな言葉があったことを思い出しました。
知らないことを知って考えて、行動して、考えて、改善して・・・そんなことを繰り返して、成長していくわけです。
さいごに
そんなわけでぼくもいろんな人、いろんな場所、いろんなことをもっと知りたいって思うわけです。もちろん、ブログのネタって言っても、ブログを書く目的も人それぞれです。
すべての人に当てはまるわけじゃないですが、人生の大半を酒に注ぎ込んだボロボロの父上。その父上にボロクソにされながら、仕事をして、こどもも育てていた母上も、他人からすればすっごいおもしろいブログになりそうだ。
そんなことを思う今日この頃です。ではでは。
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