あ、どもども。怠惰な人生に終止符を打ちたいぼくです。
とある先輩のBloggerブロガーに影響されて、読書という崇高な趣味を手中におさめつつあるぼくでもあります。あらためて、どもども、ぼくです。
骨の髄から怠惰な性格なので、「自己啓発本」が増えてしまいます。
自己啓発本って、なんとなく「宗教くさいイメージ」があったので、避けて通ってきました。食わず嫌いならぬ読まず嫌い。
ですが、最近はこう考えるようにしています。
「とりあえず読もう。文句はそれからだ」と。
さて、そんなわけで自己啓発書で有名な『自助論』という本を読んだら、いろいろ思うところがあったので、書いてみようと思います。
『自助論』とは?
原著は1857年に発行されていて、日本では明示4年に日本語訳『両国立志編』が出版。
『両国立志編』は当時総計100万部売れたらしく、『学問のすすめ』と並び有名かつ重要な書物のひとつとなっており、帯にもある通り150年読み継がれた不朽の名著にして世界中でロングセラー・ベストセラーとなっているほどの本のようです。
本書は、東京大学名誉教授・竹内均氏によって翻訳されています。
引用、事例などが時代とマッチしていなくて理解しづらかったり、原著者の言わんとするところがわかりづらくなることをおそれ、自助論ではそうした一部を取り除いたことも記されています。
自助論冒頭でのきづき
『自助論』第一章は、「自助の精神 人生は自分の手でしか開けない!」となっています。音楽アルバムの序盤の曲がやけに良い曲が多いように、書籍の序盤も「大切なこと・重要なこと」が書かれていることが多かったりします。
自助論の冒頭「第一章」で「外部からの援助は人間を弱くする」と書かれていました。
外部からの援助とは、大きな枠組でとらえれば「仕組み」のことであり、制度や法律のこと。
その主張のあと、国民と政治についてさらに次のように書かれています。
政治とは、国民の考えや行動の反映にすぎない。どんなに高い理想を掲げても国民がそれについていけなければ、政治は国民のレベルにまで引き下げられる。逆に、国民が優秀であれば、いくらひどい政治でもいつしか国民のレベルにまで引き上げられる。つまり、国民全体の質がその国の政治の質を決定するのだ。この内容を読んで「はっ!?」としました。たしかにその通りだと思いました。
法律やルールについて考える
憲法は、この国のどんなルールの中でも最上位に位置しているものです。だけど、義務教育で教わるものではないし、社会人になっても具体的に誰かが教えてくれるものでもありません。
そのすべてを完全に把握している人って、憲法マニアや法律家くらいのものではないでしょうか?
国家を形成している大多数の一般人が、憲法や法律のなかみを知らず、国家というものを形成している。
それってとんでもなく、すごいことだと思いませんか?良い意味でも、悪い意味でも、ぼくはすごいことだと思うわけです。
ルールの是非や改正について
で、その国民の代表である政治家たちが「憲法改正の是非」や「社会保障制度の維持」といった内容について、議論を繰り返しては、新しく法律を作ったり、既存の法律を変えたりしている。そして、それをテレビ画面の中で「あーでもないこーでもない」と言うニュースキャスターや芸能人がいて、
そのテレビ画面をみて、また「あーでもないこーでもない」という一般庶民がいるわけです。
- 井戸端会議であーでもないこーでもない
- 会社であーでもないこーでもない
- SNSであーでもないこーでもない
- ブログであーでもないこーでもない
と、さまざまな意見を繰り返す国民がいるわけです。
政治とマスコミと国民のじゃれあい
国民のために議論しているようには見えますが、「国民の声」だとか「国民の生活が第一」だなんだと、コロコロと発言を変えたり、ポジションを変えたりする政治家がいて。そしてまた、そんな政治家の言葉を信じる国民がいます。切り貼りの編集をされたテレビや新聞の言葉に迎合して一票を投じる国民もいれば、政治に参加する意味がないと、投票にすらいかない国民もいます。
結局、また政治は変わり、国民は右往左往する。以下、リピート。
国民は政治に依存、政治は国民に依存。
最近、政治も国民もグローバル化という「言葉」だったり、グローバルという「得体のしれないなにか」に依存してんじゃないの?っていうくらい「グローバル」や「欧米では」という言葉をよく見聞きします。
すこし冷静になってみると、自助論でいうところの「外部からの援助」に期待してはいないだろうか?と
仕組みに依存する国民
「援助」とは言えなくても、例えば「資格をとればなんとかなる」とか。
- 「一流大学に入ればなんとかなる」とか。
- 「上場企業に入ればなんとかなる」とか。
- 「公務員になればなんとかなる」とか。
- 「定年まで我慢して会社にいれば退職金が」とか。
- 「退職金がもらえるいまのうちに…」とか。
- 「会社の仕組みがおかしい」とか。
- 「残業代はでないけど、残ってやっていくよ、そういう会社だし、みんなもそうだから」とか。
- 「上司の機嫌をとればそれなりに出世できる」とか。
おとなが勝手に作り上げてきた、制度、仕組み、ルール、枠組み、慣例・慣習、常識、風潮、空気感…
に自分自身を当てはめることで「人生、なんとかなる」そう考えることが、もはや危険な行為であるような気がしてなりません。
ルールや仕組みは手段であって目的ではない
「ルール」や「仕組み」は、本来ならば、なにかを達成するための手段であって、目的ではないはずだ。なのに、ルールを守ることばかりに目がいっていないだろうか?
本来の目的は達成されているのだろうか?
- 「法律でそうなっているからそうしなければいけない」
- 「テレビがそう言ってるからきっとそうなんだろう」
- 「会社の風潮がそうだからおかしいと思いつつもそれに従わざるをえない」
と、深く考えることもなく、鵜呑みにしてまうのは、なんとも悲しいことだと思う。
結局は各々ひとりひとり、個人個人が成長しようと考え、行動に移さなければ、環境も自分自身もなにも変わらない。文句を言っているだけではなにも変わらない。むしろ、悪化する。
かつて、ぼくがは家に帰ったらパソコンの前で、いろいろなサイトや掲示板、動画なんかを観て時間を過ごしていました。
そして「これが最高のストレス発散」「これで明日も頑張れる」と思っていましたが、ともてではありませんが、人に自慢できるような人間ではありません。
「自助の精神」は、もちろんぼく自身にも言えることだし、ぼくも自分の人生をもっと楽しく幸せなものにしたい。
政治、会社の仕組みや環境、千載一遇の好機、そういったものに期待しているうちは、決してそうはならない。
自分自身を日々、磨き続けることが第一歩なのだと。
ルールや制度、政治、会社の仕組み…などなど、そうしたものをいっさい無視するというわけでは、もちろんありません。
さいごに、ぼくと『自助論』と。
今日もなんだか、なにをいいたいのかわからなくなってきておりますが、要するに、
✓おれ、もっとがんばれ!
って、思ったということです。
人として成長しよう、努力しようという姿勢を忘れないこと。
そして、そういう人が一人でも増えていけば、自然と政治はいいものになっていくし、社会もよりよくなっていくんだ。
『自助論』という書籍が、そう言っていました。
あ。ちなみに、『自助論』は政治に関する本ではありません。人とか人生とか、カッコいい人になるための行動指針とか、そういうのがステキな言葉や具体例で教えてくれています。
どこから読んでも、ココロにささる言葉がちりばめられていて「気づきのある一冊」となっています。
それでいて、けっこう読みやすい構成、ボリュームとなっています。本は苦手だけど、少しでも人生のヒントになる物があればいいな、という人に読んでもらえたらと思います。
ではでは、さ、明日もがんばろう・・・というか、今日もまだちょっとあるから、もうすこしだけがんばれ、おれ!
ではでは。
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