妬んで羨んでバカにして人のせいにして文句言って...そんなぼくなら”自分らしさ”なんていらない。

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最近、旧友がtwitterで不平不満をつぶやいていることを知った。主に、政治に関すること。増税だったり、秘密法案のことだったり、隣国のことだったり・・・。

かつてのぼくも似たようなものだったことを知った。そういう自分はどうかと問われたら、言い返す言葉も見当たらない。なんせ、おもうような人生を歩んでいないし、そもそも”思うような人生ってなに?”ってほど。そりゃ、右往左往しますし、正直、しんどい毎日。

 

どうやら。最近、読んでいる啓発本の影響を受けているようぼくです。

元来、自己啓発は宗教的なものだと感じていたので、近づかないでいた。両親の影響で、小さい頃は某宗教団体の活動に参加していたこともある。そのぼくだから書けることだけど、活動に参加したり、そういう人たちと交流してみて、あらためて、某団体や宗教そのものへの不信感は強まった。

その影響があるのかもしれないが、自己啓発というものにもどこか気持ちの悪さを感じていた。

そんなぼくが、今年になって自己啓発本を買いあさり、読むようになったのはなぜだろうか?それはやはり、じぶんが弱い人間であって、あっちへふらふら、こっちへフラフラ・・・と、自分の足で人生を歩いていないと自分自身が気づいたからだろう。

 

最近、よく目にするようになったのはぼくが意識するようになったからだろうか・・・「その人らしさ」とか「個性」とか「自由」とか「人権」とか。

もちろん、そういうの・・・大切だと思う。

 

もしも、その結果がいまのぼくだとすれば、そういうのってまったくいらないんじゃないかって思うようになった。自分らしさってやつ。

だからって、お経を唱えれば救われる・・・なんて思わない。だったら、よほど自己啓発本のほうが具体的だし、ビジネス書だってすごく良いこと書いてある。そういうものなら、”自分らしさ”なんて捨ててしまって、カッコイイと感じた人に素直に影響受けたり、真似したりしてもいい気がしてきた。自分なんてものはいらない。

そう思わせてくれたのは、松下幸之助「道をひらく」だった。これが自己啓発本になるのかわからないけど、最初に手にした本がこれで良かったと本当に思う。松下幸之助の考えや想いは、とてつもなかった。だけど、言われてみれば当然のこと。その当然のことを当たり前にこなす人がたくさんの人に影響をあたえることができるのだろう。

その松下幸之助だって中村天風という人に影響を受けたそうだ。

 

結果的に、ひとりでも多くの人を感動させたり、救ったり、楽しませたり・・・そんなことができるんだったら、思うような人生を歩んでこれなかったいままでの自分とはさいならしよう。

 

誰かのせいにするのはやめよう・・・自分の人生なんだから。

だけど、自分なんていらない。

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