ぼくにもこどもができました。
初めての出産。死にそうな思いをして、さらにこれから育児・子育てにと、たくさんの不安を感じながらも、ぼくを支えてくれている嫁に感謝の気持ちでいっぱいです。
結婚とこどもで男は変わることができるのだろうか?
結婚。そして、こどもができると、父親は人が変わるという話を聞いたことがあります。みなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか?まっすぐ家に帰るようになり、落ち着きがでて、仕事もうまくはこび、人生が好転する、といった話
人生をなんどもあきらめかけたぼくでも、はたして夫として、父親として、落ち着きのある男になることはできるだろうか。
想像と経験
自分のこどもなどいるのものか…
ずっとそう思っていました。
そう思っていました。
ぼくみたいな人間の遺伝子を受け継ぐ存在をとうてい受け入れられるわけがない、認められるわけがない…というほうが性格かもしれません。
そして、それは人生がうまくいかずに苦しんでいたあの頃のぼくが、
その小さな想像力のなかで、自分という存在を肯定するために、自分自身を守るために編み出した逃げる手段だったのかもしれません。
ただ、いま実際に「結婚」という経験をして、「こども」という存在を目の前にすると、ぼくの想像の世界など、本当にちいさなものだったな、と。
そう実感しています。
父親としての気持ちの変化
こどもがうまれてからまだ数日
たしかに心にうかぶ感情がある。それは、少しでも家族といっしょにいたいという気持ち。
逆をいえば、仕事とそれに付随する時間や人とのやりとりが、正直、とてつもなくジャマに思えてきてしまう。
いや、じゃまだ。
いや、じゃまだ。
こどもの素直なリアクション
会社においては、上司や同僚、顧客の顔色をお互いにうかがいながら、
アイデアや意見を交換しているように見えて、ただただ、弱いものが強いものの意見にすり寄っているだけで、ムダな時間と労力をつかっている。
それに比べると、こどもの反応というの本当に素直で、すがすがしくて気持ちいい。
ムダなことにたくさんの時間をつかっていることが本当につらい。
変わるという覚悟
このブログにおいても、実生活においても、
初心者でド素人で、専門的な知識も経験もなく、実績もない。自信がないから「初心者」「ド素人」とついつい書いてしまうわけですが、
でも、プロではないことは事実だし、一周まわってブログを書くにおいては「どうせなら自信をもってド素人だ」と書けば良いとも思っています。
実生活においては、人との関わりは疲れるから嫌いだし、でも上下関係を気にしながら会社という組織に属して、人間関係に疲弊する毎日。
会社組織のありよう、会社の人間の固定観念や常識、意識を変えることもできなければ、自分自身の不甲斐なさ、怠惰な生活すら変えることもできない不出来な人間です。
しかし、いつもまでも初心者だ、ド素人だ、と逃げ隠れしながら、「自分は本当に変われるのだろうか?」などと、言っている場合ではないのです。
嫁のために、こどものために、家族のために、なにより自分自身のためにも変わらなければいけない
という考えにいたりました。
こどもという存在
こどもという存在によってなにかが変わるのか?と聞かれたら、間違いなく変わります。
単純な話しで、一人では身動きもとれず、食べることもできないひとりの人間が、そばで泣いていたら、それをぼくは無視することができません。
いまと同じ生活を続けていれば、こどもに食べさせるもの、着せるものも、なにかを学ばせることも、なにもしてあげられないのではないか。そんな不安もあります。
いずれにしても、こどもというひとりの人間を前に、なにかしなくてはいけない状態になるのです。
単純な話しで、一人では身動きもとれず、食べることもできないひとりの人間が、そばで泣いていたら、それをぼくは無視することができません。
いまと同じ生活を続けていれば、こどもに食べさせるもの、着せるものも、なにかを学ばせることも、なにもしてあげられないのではないか。そんな不安もあります。
いずれにしても、こどもというひとりの人間を前に、なにかしなくてはいけない状態になるのです。
さいごに
そして、そこからが本当の意味でのスタートだということ。
しなくてはいけないなにかとは、一体何なのだろうか。自分はどのような人間に変わればいいのだろうか。
どういう人間でありたいのか。こどものためにできることはなんだろうか。
そんなことを考えながら、いまの自分ができる精一杯のことしか、いまのぼくにはできないのだ。
そんなことを実感した今日このごろです。
しなくてはいけないなにかとは、一体何なのだろうか。自分はどのような人間に変わればいいのだろうか。
どういう人間でありたいのか。こどものためにできることはなんだろうか。
そんなことを考えながら、いまの自分ができる精一杯のことしか、いまのぼくにはできないのだ。
そんなことを実感した今日このごろです。
ではでは。
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